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いや、それにしても懐かしい。当時私は大学一年生で、大阪の下宿で見てました。阪急は憎たらしいほど強かったし、Gファン(特に長嶋ファン)だった私は、その前年も前々年も憎き阪急に負けてましたので、スワローズを応援してました。対戦前から阪急の一方的な勝利ばかりを喧伝されていたので胸糞悪かったのを今でも覚えています。それに根拠はないのですが、何故か広岡さんなら勝つのではないかという淡い期待に胸を躍らせてました。そして遂に3勝3敗の文字通り最終決戦で、加藤秀司の抗議の間に1点先取したスワローズでしたが、あれはテレビで見るからには完全にアウトでした。
そして問題の大杉選手の一打……あの打球は、テレビで何度もスローモーションで映り出されましたが、『絶対にファール』でしたね。私は、打った瞬間、角度的にファールだと信じ込んでましたが、線審の「ホームラン」にビックリしました。
しかし、ビックリするのはその後でした。上田監督の抗議がいつ終わるのかと待ち続けてましたが一向に終わる気配がなく、最後は金子コミッショナーまでもが阪急ベンチの中で説得する破目となり、そのやり取りの一部がマイクで流れており、上田監督の激しい言葉が聞こえました。当時まだ19歳だった私は、徐々に上田監督の執念にのめり込んでました。相手がコミッショナーだろうと譲らないあの姿勢に少なからずショックを受けました。
スタンドでは観客たちの喧嘩が始まったり、ベンチの水道が破裂し、水浸しになるなど、考えられない事態になり……今のプロ野球とは違い、選手も監督も観客も熱かった時代なのでしょうね。今年の日本シリーズの最後に、阪神の西岡選手が、守備妨害で妙な終わり方をしましたが、あれが和田監督でなく上田監督なら、とてもあんな抗議じゃ終わらなかったでしょうね。
結局、1時間19分という恐ろしく長い抗議の後に上田監督の顔がアップで映し出されましたが、その顔は、既に勝負師の顔ではなかったのがクソガキだった私にさえもわかりました。そして、先発の足立投手に代わって出てきたのが新人の松本正志(後に祥志?)でしたが、松本投手は、私と同い年で、前年の夏の甲子園の優勝投手でした。しかし、残念なことに、チャック・マニエルに外角高目を(あれはボールでしたね)レフトにホームランされました。松本投手だって新人で19歳だし、あんな大舞台に立つのは緊張したことでしょうね。松本投手は、今でもオリックスの用具係をしていることをネットで知りましたが、今でも野球に拘わっていることに嬉しくなりました。
今でも不思議なのは、あの抗議の後、あれほど嫌いだった阪急を応援してる自分がいたからです。上田監督のあの表情……涙が出そうでした。
今の野球はスマートになりすぎです。クールさなどファンは求めていません。やっぱり勝負事は熱い人たちの場であって欲しいですね。
私は誕生日が、昭和34年6月25日です。そう、あのミスターが天覧試合で村山実からサヨナラホームランを打った日に生まれました。その関係もあって、生粋のGファンであり、長嶋ファンでしたが、確か、あの日本シリーズの翌年、江川事件があって、読売の体質に嫌気が差し、遂にはミスターの解任でスッパリとGファンをやめました。同時に野球ファンもやめてしまいました。
しかし、あの1978年の日本シリーズは、上田監督から生き様を教えて貰った貴重な試合だったことは確かです。
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